今日は大津市について
こんにちは。ventです。
今日は大津市で仕事です。
大津市の歴史を調べてみました。
山門(延暦寺)は南朝、寺門(園城寺)は北朝につくなどして戦場となりました。
その中で足利尊氏によって室町幕府が開かれ、3代将軍義満のときに南北朝が合一されました。この時代には庶民の力も大きくなり、
土倉や馬借 といった金融・運送業者の行動が
世を動かすまでになりした。
また、庶民の旅も観音巡礼といったかたちで
盛んとなりました。
<安土桃山時代>
織田信長や豊臣秀吉は、天下統一の戦いのなかで、大津を重視しました。
元亀2年(1571)、信長は、平安京以来の宗教的権威であった山門(延暦寺)を焼き打ちし、
山麓の湖岸に坂本城を築いて近江さらには
畿内平定の基地としました。
また、天下統一を果たした秀吉は、天正14年(1586)頃に大津城を築き、水運を整備し
大津を東国・北国の諸物資の大集散地として
発展させました。
<江戸時代>
天下を取りました。その前哨戦 の大津篭城戦で焼けた大津の町を、幕府直轄の港町・宿場町として復興させました。
城は膳所に移して湖南 の村々を支配させ、のちに湖西の支配に堅田藩をおきました。
また秀吉・家康のもとで延暦寺は復興。
家康の側近として活躍した天海は、坂本に家康をまつる東照宮を建立しています。
<近代>
明治維新後、大津は滋賀県の行政の中心として位置づけられ、県庁が置かれました。
また、陸軍歩兵第九連隊の駐屯地となり、
軍都の性格も加えられました。
また、交通・ 運輸・治水等諸分野で近代化が
進められ、汽船の就航や鉄道の敷設、
また琵琶湖疏水の開削や瀬田川洗堰の建設などが次々と実施されました。
その最中に起こったのが、日本をゆるがした大津事件でした。
<補足>
大津事件は、1891年(明治24年)5月11日に
日本を訪問中のロシア帝国皇太子・ニコライ(後のニコライ2世)が、滋賀県滋賀郡大津町(現大津市)で警備にあたっていた警察官
津田三蔵に突然斬りつけられ負傷した暗殺未遂事件である。
当時の列強の1つであるロシア帝国の艦隊が
神戸港にいる中で事件が発生し、まだ発展途上であった日本が武力報復されかねない緊迫した状況下で、行政の干渉を受けながらも
司法の独立を維持し、三権分立の意識を広めた近代日本法学史上重要な事件とされる。
裁判で津田は死刑を免れ無期徒刑となり、
内務大臣・西郷従道が責任を負って辞職し、
6月には司法大臣・山田顕義が病気を理由に
辞任しました。
その土地でいろいろな歴史があり、おもしろいですね(*^^*)